〈千葉市詩話会〉 実施報告D

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……2019年 2月・詩話会(第90回)…………………………………

松田悦子さん 『 Ti amo(ティ アーモ)―君 愛しています』(土曜美術社出版販売)

2月16日(土)第90回の会は松田悦子さんの新詩集『Ti amo(ティ アーモ)―君 愛しています』
の合評を行いました。出席18人。

 この詩集は①自己の来歴を振り返り家族・親族・同伴者などを見つめた作品(「夕日の下で」「White gloves」など)、
②関東大震災での朝鮮人虐殺、伊藤野枝や足尾鉱毒を天皇に直訴した田中正造など現代史の闇を描いた作品(「響け 普化鐘楼の鐘よ」
「消えた町の名を探す」など)、

③イタリア滞在時の作品(「イタリア共和国見聞録」など)で構成されています。
そして詩集タイトルや各作品名に欧文を付加して全体にイタリア体験で統合することが目論まれています。
松田さんは娘さんの出産を手伝うためにイタリアに渡り、帰国直後にすばやく詩集をこの詩集が刊行されたという特徴があって、
そこに詩人としての詩作、詩集づくりへの並々ならぬ気概を感じとる声がありました。

作者の原点を書いた「夕日の下で」や「夢駆けるみどりの電車」に強い印象をもった人が多く、
叔母さんを書いた「YAENOSATOホスピタル」や「ひもと線香花火」に共感された作品です。
朝鮮人虐殺などの告発性の強い作品に対しては追体験的な実感を伴うことでよりリアリティが高められているとの評価が。
イタリアスケッチ作品も好評で、秋元炯さんが「病院」を朗読しました。詩集のモチーフである〈愛〉に共鳴する声もありました。


●詩集から 「病院 Ospedale」


オレンジの壁 パタンとドアの開閉音
Sala 13 妊婦が入ってゆく部屋
通路には 赤ん坊と乳母車 次から次と赤ん坊
しかめツラの 眼差しのきつい子が こちらを見ている
笑顔で返すが 目が尖っている 彼女はアラブ系
異国の言葉に通じ合えぬ待合室
口を一文字にして座っている 通路に金髪の背の高い夫人
寄って来る 白衣を身に付け とても早口で説明をしだす
医者らしい 子はまだ産まれない

●合評作品


結城文「出羽羽黒山へ」、加藤圭「しっかりしろ」(カール・クローロウ詩を訳)、山中真知子「花燭かざして」、
村上久江「時の間(あわい)に」、黒田忠也「勝負 ~松田悦子『傷』に寄せて~」、岡田優子「木切れの小鳥」、
森万希「便り」、秋元炯「裏町」、翔「零の記憶 おちる」、池田久雄「地球脱出」、長沢矩子「わたしの風船」、
秋葉信雄「パンツのシミは世界を救う」、石井真也子「蕗の葉の便り」、朝倉宏哉「のち」、
根本明「千々に」、井田三夫「内藤丈草の俳句など」  (記録・根本明)

  

 

 

……2019年 1月・詩話会(第89回)…………………………………

 結城文さん 「多田智満子の詩」


○「多田智満子の詩」
 結城さんはまず多田の略年譜と著書を紹介。
1930年(昭和3年)福岡生まれ。東京女子大外国語科卒業。
56年に第一詩集『花火』を出版。以降、詩集『闘技場』(60年)、『薔薇宇宙』(64年)、『鏡の町あるいは目の森』(68年)
ほか多数の詩集を出した。

詩集『蓮喰い人』(81年)で現代詩女流文学賞、詩集『川のほとりに』(98年)で第16回現代詩歌花椿賞、
詩集『長い川のある国』(2001年)で読売文学賞を受賞する。歌人でもあり歌集『水烟』(1975年)がある。


 マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』に始まる翻訳での評価も高く多くの訳書があるほか、
『古寺の甍』(77年)など多数のエッセイ集がある。一方、大学で仏文学の教授として長く教壇に立つなど
多方面で活躍した詩人だった。

同人誌「たうろす」(63年~)、「饗宴」(76年~)に参加、高橋睦郎とは深い親交があった。2001年癌により亡くなる。
死後、詩集『封を切ると』、歌集『遊星の人』、句集『風のかたみ』が出版された。

多田は主知的な詩人であり、形而上的に言葉から言葉へ、イメージからイメージへと紡いでいく詩風だった。
その中でLSDを服用して幻覚的詩を探ることを試みた詩集『薔薇宇宙』 について出席者から意見が飛び交った。
さらに結城さんは癌を告知されてから書かれた詩や短歌、俳句を提示し、学問や主張、時代を取り去って
ただ自己の死と生に向き合った表現に強く惹かれると話した。

                                            出席者17人。司会は石井真也子さん。

詩集『薔薇宇宙』 より 「歌」

私は石を刻まないだろう
砂と泥とをかきあつめないだろう
私はもう来てしまったのである
どうして行ってしまわないことがあろう

砂漠があって
太陽があって距離があって
そして私はここに来た
まっすぐに
真空を埋める風のように

私は
かつて海であった私は
問答をくりかえす砂丘の蔭に
埋もれた骨しろい水脈を探さない
乾燥した波間をすすむ
まずしい三角帆よごれた天幕を探さない
それから天にのぼる縄梯子
迅速な竜巻の誘惑にものらない

砂漠があって
太陽があって拒否があって
そして私はここに来た
まっすぐに
昨日の支配する道を辿って

時間は絶えず形相を問うが
空間は資料によってしか答えない
うしろから私を祝う黒い私の影を曳きながら
私はもう来てしまったのである
どうして行ってしまわないことがあろう

 

合評作品

大掛史子「八重桜けふ九重に」・石井真也子「雨は降っていたか」・結城文「白銀の交響曲」・
岬多可子「気象の余白」より「雪」「毛」・秋葉信雄「Time for pomegranate (Pomegranate by axe)」・
森万希「赤いわたし」・黒田忠也「きずな」・池田久雄「ギックリ腰」・「歌う九十九里浜」・長沢矩子「ある日曜日」・
村上久江「おまえよ」・朝倉宏哉「女郎蜘蛛」・白井恵子「道草の一日」・樋口冨士枝「針仕事」「朝の音」・
秋元炯「小指の」・松田悦子「傷」・根本明「夕空に無垢」

 

「八重桜けふ九重に」   大掛史子

中宮彰子に仕える女房たちの中でも
伊勢大輔(いせのたいふ)はまだ新参者だった
一条院の御前に待っていた折
奈良から八重桜が献上され
そうした折の取りつぎ役は紫式部が常だったが
式部はその役を大輔にゆずった

それを知った彰子の父関白道長は
黙って取りつぐものではないよと諭す
さあ困ったなどと言ってはいられない
当意即妙に詠むのが女房たる者の務め
一瞬思案の面ざしを見せたが
朗々と若やいだ唇から歌が洩れた

  古(いにし)への奈良の都の八重桜
  けふ九重(ここのえ)ににほひぬるかな

桜の八重と宮中の九重を重ねた素早い機知
おおらかな若々しい調べの華やぎ
主上も中宮も道長も式部も
居ならぶ者みな賞讃にどよめき
晴れの場で面目をほどこした新参女房

奈良の八重桜は千年を生き継ぎ
東大寺千足院で
大ぶりの花びらを豊かに重ね合わせ
にほひぬるかなと詠われた姿を今に伝えている

                                        
                               (根本明・記)

 

…… 12月・詩話会(第88回)…………………………………

野村俊さんのお話「『記紀歌謡』とその周辺について思う」 12月15日

            


わかりやすい資料にそって、日本の詩は江戸時代以前にはなかった」という誰でも持つ疑問からはじまりました。
「日本の古代歌謡」の記録してある「各国の風土記」「古事記」「日本書紀」「万葉集」にさまざまな記録。それらから
どんなときに唱和したのか。仕事をしている、宴会、恋を告げるとき、葬送の時、歌舞を披露する時などである。
皆で唱和したり、掛け合ったり、聴衆に聴かせていたこと。具体的に長歌、反歌。1000年も前の名歌の代表の
相聞歌を掲出しました。

片歌
あかね紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
返歌
紫野のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋めやも(大海人皇子)

 結論としは古代にも国には素敵な『詩』の世界があったし、見事な言語表現の技巧を巧まずして会得していた言える』
と、いうことでした。何時も暖かい目で色々なものを見つめておられる野村さんならではのお話しでした。

〇合評作品

次に持ち寄った詩の合評にうつりました。
松田悦子さん(詩集「Ti(ティ) amo(アモー) ―君愛してます」2018  11上梓)の言葉
「今年最後にいい詩、詩、詩に出会えてよかった」と私もそれにつきます。それを太鼓に
たとえた詩と気持ちを届けたい星野朋子さんの詩が、下記にあります。ご覧いただければと存じます。

 

饗宴
                    松田悦子 


タイトルにひかれて 座る
太鼓が並び 今まさに音が鳴り出すところ
私も私の太鼓を持って 座る
タガ緩み 音がふぞろいの それらを抱きとって

耳にした太鼓は若かった 人を巻き込み
時間を叩き 炸裂した音が会場に響いた
暴れ太鼓の 形に乗っ取った 音 音 
バチを振り上げる姿は 美しいほどに整って
一点を打ち込む ふらつきのない立ち姿
音は縄文から届いたという言う 人から人に
文字もない 遥かな時間は 音は伝播した
叩く 叩く 一刀の一撃を

音の悪い太鼓は皮突き破ることはもうない
抱き取って この先を静かに座っているだろう
届かぬものであっても 赤い音 微かに響けばそれでよい
若い太鼓 強く暖かく響き 今が花と咲き誇る
渇望する光が もうすぐ届くだろう

 

君のもとへ
                       星野朋子

本が青空を飛んでいく
開かれたページからメロディが溢れている

鳥は友達になりたくて傍らで一緒に羽ばたく
人々は本を指差し 不市議に分かち合う
すると虹がかった

どこまで飛んで行くのだろう
きっと本が大好きなあなたのもとまで

待っててね

今行くよ

何日かかつてもいくからね

 

≪参加者≫ 野村俊 秋元炯「駆けおりる」朝倉宏哉「お鉢回り」池田久雄「カラオケルーム」

星野朋子「君のもとへ」森万希「透明な月」黒田忠也「心」山中真知子「コーヒーブレイク」

翔「小さな宇宙」村上久江「雨が降る」長沢矩子「時計」 岡田優子「幼い言葉」 白井恵子「コーヒーの香り」 

樋口冨士枝「一本の鉛筆」 松田悦子「饗宴」石井真也子「忘失の刻あり」

(石井真也子・記)

  

…… 11月・詩話会(第87回)…………………………………


            

大掛史子さん「『伊勢物語』の抱える背後の闇」

『伊勢物語』は在原業平の歌や逸話を中心に作られ、「自由闊達な業平の行状、恋模様と名歌の彩りによって広く愛され、後の物語作者たちに
多大な影響を与えた」(大掛さん) 歌物語。藤原高子(二条の妃)と伊勢斎宮との恋が物語の二つの柱となっています

『源氏物語』は光源氏と父桐壷帝の妃・藤壺中宮との密通によって生まれた子が冷泉帝として即位するという禁断のストーリーでもある。
このタブーを冒す設定はどうして可能だったか。それは業平と二条の妃との密通の末に生まれた子が陽成天皇となるという事例があったからだ。
大掛さんは、このことを史実的に研究し裏付けるいくつかの史料や論考を紹介しました。歴史にしろ男女関係にしろ裏側まで見ることで人間の本質に
迫ろうとする、大掛さんのある種冷徹な詩人の視線を感じさせる講話でした。

大掛さんは『伊勢物語』125段の逸話と歌を逐次分かりやすく紹介する詩を連作するという野心的な仕事のさなかです。私たちはこれらの作品に
触れることで物語の主題である「雅」のかたちを考えていくことができると思います。

 今回は4人の方が新しく参加、19人による賑やかで刺激的な会となりました。 (根本明・記)

 

              

〇合評会の作品

小町よしこ「秋の帽子」、岡田優子「柘榴」、黒田忠也「中原中也『頑是ない歌』など」朗読、翔「祇園囃子を聞きながら」。

星野朋子「母」。森万希「再生」、おさや川静子「葦」、長沢矩子「顔」、村上久江「今日そしてあしたへ」、白井恵子「はるかはるか」

樋口冨士枝「婆ちゃんのひとりごと」、石井真也子「空が鳥のもとにある時」、松田悦子「おにぎり」、結城文「海は呼吸している」

秋元炯「口唇期、寺園梛央「Your seven and three dwarfs」、根本明「揺籃」。

 

「海は呼吸している」 結城文

海の上に寝ている
夜の海の音をきいている
海の呼吸がきこえる

波の寄せることのない海のたゆたい
海は生きている
半月の月あかりの下
ゆらめいている

あるかなしかの風の手のひらに
撫でられた海面の
微かな無尽数(むじんず)の凹凸
それら無尽数の凹凸が反射する
幽かな星辰の光
夜の海が繰り返す静かな息使い

海の上に作られた
角材を敷きならべた空中橋を渡って
中央がとんがった丸い茅葺屋根の
海の上の小屋に
身を横たえて待つ眠り

生きている海の
呼吸をききながら

 

 …… 10月・詩話会(第86回)…………………………………

10月20日(土)はフリートーク 詩の朗読 詩の発表と合評でした。 収穫の秋ですので地域の文化祭や催し物があり、
お忙しい中での開催でした。

       

朝倉宏哉さんが若いころから愛唱していた勅勒の歌<無名氏>

勅勒の川 陰山の下        ちょくろくのかわ いんざんのもと
天は穹廬に似て 四野を籠蓋す    てんはきゅうろににて しやをろうがいす
天は蒼蒼 野は茫茫         てんはそうそう のはぼうぼう
風吹き草低れて 牛羊見わる     かぜふきくさたれて ぎゅうようあらわる

<意解>勅勒の草原は陰山山脈の麓に横たわり、大空はパオのように四方の平野におおいかぶさっている。 空はどこまでも青く、
野原は果てしなく広がり、風が吹いて草が低くなびくと、平原のあちこちには放牧された牛や羊の姿があらわれる。

「この詩をどれほど暗唱しただろう
 悲しいとき
悔しいとき
情けないとき
この詩にどれほど救われただろう」(朝倉宏哉 詩「勅勒の川」より) 

というように勅勒の川を思いつつ、モンゴルの草原の川を見たことが書かれていました。

池田久雄さんの詩「訓示」はいつものユーモア溢れるものでした。来年には詩集をと準備中により、
出席者に沢山、アドバイスをいただけました。楽しみです。
樋口冨士枝さん「天変地異」はこの夏の暑さと異常に皆の話題もそこに集中「人間は何を目指して何処へ行くのだろうか」とあるように。
おさや川静子さん「青春のオール」

「オーィ オーィ 魚を逃がす気だか!オーィ/どうも私を気遣っての/声ではなさそうだ やっと網を放れる/私は昔も今もお騒がせ」
本人曰く「私はおさわがせなので おさや川 とペンネーム」と(´∀`)
そして井田三夫さんはいつも格調高い「テオフィル・ド・ヴィオー」の訳を説明してく れました。


≪朗読作品≫山中真知子「フェルメール・メール」 井田三夫「CONSOLATION A(`)M. D .L」訳詞  

黒田和也「そうなんや」 朝倉宏哉「勅勒の川」 池田久雄「訓示」 長沢矩子「大丈夫」おさや川静子「青春のオール」

樋口冨士枝「天変地異」 村上久江「許されて」岡田優子「空と柘榴」 秋元炯「赤鼻」 石井真也子「言葉 時雨れて」

寺園梛央「Your  seven and three dwarfs」

  

 空と柘榴            岡田優子

澄み渡る空
石榴が熟し 果皮が裂ける
紅い実は 縫い取りビーズのような
光を放っている

―見せてあげたい
小児病棟のベットで
退院の日を待ち焦がれる
五才の子供と
麻疹を病んで
仕舞い忘れた 風鈴のようにしゃくりあげる
二才の子供に

はやる心 爪先立ちで
実をつけた枝に伸ばす 汗ばんだ掌
花鋏はあっけなく滑り落ち 
実が零れる

千人の子供を産んだという
鬼子母神の伝承がよぎる
つぶらな実を
まんべんなく 与えることが出来ただろうか

地べたに這いつくばり
わたしは子供のために
薬効あらたかな一粒を探す

駆け足で去っていった半世紀
空は色褪せず 今日も澄み渡り
老いた わたしが 見上げている


                   (報告・石井真也子)

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