千葉市詩話会 Book 1

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 会員・新詩集 & 評

 

 

岬多可子詩集『あかるい水になるように』

                    根本 明
第2回 大岡信賞受賞詩集

この詩集は岬多可子さんが詩的才能を解き放ちきったかのような煌めきと詩的謎に満ちている。詩集は「骨片蒐集」、
表題詩「あかるい水になるように」を収めた15編、「標本帖」、「花の頃」などの15編、と4章構成となっている。
「骨片蒐集」のテーマは土。次の章で火、水、土という世界の構成元素に引き付けて表現世界が展開される。
根源へと向き合おうとする壮大で野心的な詩集といっていいのかもしれない。

   *
プロローグ作品「骨片蒐集」は4連立てで、1連は一族の墓地を改める際に土中の骨を焼くのを見守る〈わたし〉の語り、
2連目は焼かれた骨を含む土を踏む〈わたし〉は踏まれる骨との区分けがなくなって個から血族の一人へ変容。
3連は類的なものとなった〈わたし〉の見るもの・感じるものを探る、4連目は様々な人骨の描写で主語は詩を書く〈わたし〉
となる。つまり主語を次々と変化させて視点と文体を見事に変えていく。
ここでの土は累代の土、一族の骨を含むものであり、そうした土を焼くとは現在を生きるためのやむを得ぬ行為とされている。
そしてタイトルからすると骨を集める欲求に収斂される。ここは私には謎だ。
またこの詩には「いずれ 守るものは絶え/花は丈高い草に取って代わられ 石も崩れる。」といった集落の終焉や血族の途絶え
のような宿命的暗さも書かれ、これもサブテーマのひとつだ。
  *
「あかるい水になるように」を含む2章で土、火、水を中心とした作品が展開され、いずれも才気と発想力に富んだ詩が
つづられていく。
 最初に置かれた作品「くらいなかの火のはじまり」は「襖の向こうの 夜の声は/聞かなかったことにしてね。」と始まり
「それが何であれ とことん/ゆけるところまで ゆくのよ。/罪なら罪 罰なら罰 どちらでもいい。/金箔 銀泥 遠い落雷/
向こう側のわたしたちも 撃たれる。」と終わる。性的官能的世界を暗い原罪意識的な匂いをまぶしながら解き放つ。
いままでの岬多可子さんの世界にこれほど大胆なエロス的展開があったろうか。
 次の「てのひらのひらひらと火」も「つらつらならならと/白いこごりを熔かすのが/上着の裾から入れて 身の肉 肉の内に触れる/
てのひらの火。/とりかえしのつかぬ あのこと あのこと、」
というように火は肉性とエロスにかかわるものである。性的属性は身体を流れる水にもあって、作品「その水は身のうちを」では
激しく直截なまでの性的アナロジーが繰り広げられる。
そして岬的エロスは個的で直接的なものではなく生命の流れに通ずる深さをもつのが特性だ。


これは九月 これは風鎮
抽斗は 一段ずつ 名づけられ調えられる。
すずしいガラス玉に
露草桔梗龍胆の 青 藍 紫、
秋 このように心もおさまったのだから もう
揺れるもの 溶けだすものも ないだろう。
一番下の 深い一段へ
鳴く虫の羽やすりといっしょに入れてやろう。
色石という段には 仕切りがあって
水草色枯草色もしまわれる。
色石は そうした草のわずかな匂いでみがくので。
今日引き出すことのできない段は 引き出さない、
たとえば蛹化する日 羽化する日
喘ぎも呻きもしない、でも なかで
ど れほどのことがおこなわれているか。だからさわらずに。
そして 見失いがちな 薄い盆のような一段は
寒天培地一枚 青族の夜だ。
あわあわの水の色は 何の迷いか、
下からだんだん 気配はひたひた 満ちてきて
情といってもよい青の 群れる青に 育っていた。
     (「水のだんだんのこと」)

詩集を通して目を奪われるほどの鮮烈さで記されるのが色彩の玄妙だ。3行目「露草桔梗龍胆の 青 藍 紫、」、
9,10行目の「色石という段には 仕切りがあって/水草色枯草色もしまわれる、」そして終わりから4行目
「寒天培地一枚 青族の夜だ、」の漢字表記(この心配りも見事なのだが)による青色世界の表現は実に美しい。
この色彩世界は水彩画的なしっとりとして柔らかなデリケートさだ。岬多可子はこの詩集において様々な詩的試みを繰り広げ、
着想に遊び、ここでは色彩への偏愛だが、作品内にさまざまな枝葉を官能的なまでに伸ばしたり、不意に逸脱したりして
読むものを驚かせ喜ばせる。私はこれらの作品を前に、作者に流れ込んだ言葉が新しい和語に醸成されていくような驚きを感じる。
 表題作品「あかるい水になるように」では、人間もしくは普遍的生命の本源的な暗部を見つめ、その本質を認識することで
光を帯びさせたい、そう理解していいだろうか。詩集には棄てられる村、廃校や亡くなった肉親らしき人の翳りや頽廃があり、
人や物に深い陰影をもたらす。〈あかるい水〉とはそうした影の反転であり希求だろうか。いや本質的暗部を見つめよ、という指示だろうか。
   *
 作品「花の頃」に始まる4章は春夏秋冬と自然を背景として人の心と営為を描こうとする詩篇。
俳句的で日本的な言葉と融合させた独自の表現を生み出していく。表現の冴えは恐るべきものだ。

 

翡翠や瑠璃を待つ水辺

  それらは
  光の扇のひとふりのように あらわれ
  追う目をかわして
  緑の木々や 青い水面に
すばやく 閉じる

 
  その余波に
  ゆれている
  ふるえているうちは
  次の風は おこらない
     (「鳥待日」)

  梅は梅
  桃は桃 になるように
  かたい実に色を点(さ)していく
みどりの 簡潔な 雨
     (「山荘の花の実」)

  光が 草木の鞭を鍛え
  撲たれただけ 濃くなっていく
  木下闇
     (「閾値、夏」)

  無数のものが打ちつけられた地上の剣呑
  潮は遠くまで及び
  深傷はおくれて火を発した

    「嵐の跡」

4章の作品は2章に比べ分かりやすく読みやすいが、鋭い表現が並ぶ。これらは初めて詩の言葉に出会った時の感動や衝撃を思い起こさせるほどだ。
「鳥待日」の風は4元素の一つとする思想がある。鳥の漢字表記の美しさと、風によってそれらを表すことの意外さがある。
「山荘の花の実」は〈ほんとうのこと・もの〉つまり生の本質や本源からの距離を問うて印象的だ。
「閾値、夏」はもっとも俳句に親縁した作品。引用行はしたたかで個性的な表現。
「嵐の跡」は東日本大震災の津波とも先年の台風ともとれる自然の猛威の跡を見事な凝縮で描いている。

 
  目を合わせなくてもよいし、
  なにも言わなくてもよい一日。
緑青の匙で みるくの幕を掬う。
消えそうになる火を消さずに
消さないように、そのことだけの日。
   (「錆」)

詩集の終わりほどに置かれたこの作品は、コロナ禍の私たちの日常の在り方を教えてくれる作品だ。
多くのことを制限された日々、ことさら気張るのではなく、地道に自身の取り組むべきことに向き合おう。
そう教えられているようだ。詩集タイトルも「あかるい水になるように」だ。
この前向きにまとめて祈りや希望を前面に押し出したことも現在の社会が求める心情と重なったのかもしれない。

書肆山田刊、2750円)

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戦争を問う詩篇
太田奈江詩集『赤とんぼ』
             根本 明

ここには柔らかな優しい言葉で、詩のふくらみをもたせながら綴られていく戦争の悲劇がある。
差し出されたこれらの詩篇を味わい、襟を正して、少しでも戦争を考える時間をもちたいものだ。

 

みずみずしいトマトの枝に
翅をやすめて
赤とんぼは前世を追憶していました

陽射しのやわらかい家庭菜園に
じっと瞑想のひととき
やがて空に吸われていきました

回れない 還れない
習性のかなしさ
まっすぐ終止符の果てにむかって

赤とんぼ

戦争という名のもと
若ものの芽は摘まれ
からだは宙に砕け散りました

さまよう未還の命を待って
多くの父が
   母が
   いもうとが
   愛する人が
かなしい涙の海におぼれました

今 西空にとんでいったのは
うなじの剃りあとがいまだ青かった
あの日の あなただったのですね

とおい日
ひそかに流したあなたの涙の記録が
きらりと光って
美しい翅はいまだ
哀しみの尾をひいていました
      (「赤とんぼ」)

表題作品は、庭に飛んできた〈赤とんぼ〉に戦争で宙に砕け散った青年を重ね哀悼する。
〈赤とんぼ〉とは特攻戦闘機の別称だという(「哀しいニックネーム」)。
ここでは特攻隊員として死んでいった若者へと昇華している。
現在の平和な菜園と戦争の時間を対照させることで、戦争が過去のものではなく、目の前にあるもの
としての怒りや哀しみが生々しく伝わってくる。この詩の前におかれた「月見草」もそうだが、
これほど静かで美しい反戦詩があったろうか。
戦犯とされた一兵士(「貝の記憶」)、戦地に送られた兄への思い(「カーキ色⦅戦時色⦆は大嫌い」)、
敗戦に狂う兵士たち(「亡霊」)、疎開体験(「笑顔が……」)、やさしいお兄さんの戦死(「消えた未来」)、
シベリア抑留の兄(「今は亡き兄よ」)、撃沈した軍艦(「戦艦武蔵」)、沖縄の洞窟から白い布を振って,
押し出されてきた少女(「平和だったら」)、原爆の悲惨(「飛行機雲をあおいで」)等々
個人的体験を越えた日本人の戦争体験に詩想が広げられる。
戦争への根源的な問いがなされてあるのだと思う。

信じられますか 許せますか
戦争という日の本当の 本当の出来事……

愛しいきみたちよ
せめて良き日々でありますように
老いびとの祈りの果ては
「ずっと ずっと平和でありますように」

       (「哀しいニックネーム」)

心に刻んでおきたい詩行のひとつだ。

土曜美術社出版販売刊、2200円(税込)

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世界と対峙する言葉
篠原義男詩集『宇宙の闇のソの渦の中』
                  根本 明

 篠原義男氏の作品は非常に異色だ。第一次世界大戦後に起こって日本の文学や詩に影響を与えたダダイズムを思わせる。
社会や政治権力への否定と攻撃性、詩文体の破壊などで共通するように感じられる。
 次の作品は千葉市詩話会でも発表されたものだ。

詩が生まレる
瞬間 ガカイしテ行く
脳の内部の堤防が
意識の アル瞬間トラエらレなくナる
堤防が混乱スる
猛烈な ブリザードの大波に打チ砕かレる
オレの脳が 意識が崩壊スる
目が廻ル 転倒スる
血液ノ闇が スサブ吹雪に荒レ狂う
詩ノ断片が 掻きムシらレる
ああ
氷河の先端が 大海原へ
クズれ落チる
          (クズれ落チる)

書き写していくと文字通り搔きむしられるような思いがしてくる。カタカナを混入させることでスムーズなリズムを拒
み読み手に混乱を与える。
詩が瓦解と同時に生じる、崩壊と詩が同じものである先には、世界秩序や自己の解体が目指されているだろうか。


悪評の中へ 自分を叩き込め
どんなに罵倒されようとも 立っていろ
ジッと天を睨んで決して下を向くナ
     (「芸術家」部分)

詩人はダマッテ視てイル ジッと 唯

詩人はタテ板に水を滴らセ
頭頂葉を突き抜け
間欠泉のシブきの闇となって生まレル

詩人はペン先に炎を灯し
人生のブラックホールの闇と苦闘し
言葉の荒海の苦悶を泳ぐ
      (「詩人」部分)

悪評の中へ 自分を叩き込め
どんなに罵倒されようとも 立っていろ
ジッと天を睨んで決して下を向くナ
     (「芸術家」部分)

これらの作品には極めて自覚的に芸術と詩に向き合う意志が書かれる。そこから次のような優れた成果がいくつも生まれている。

座席が宇宙から垂れさがってイル
縊死体が座席に吊るされ
腐食した死体に蛆虫が蠢いてイル
言葉の背後の蛆虫たちに食い尽くされて
満天の星空へ コボレ落チル
       (「風景――未来」)

宇宙に吊り下がった死体。グロテスクさと星空の取り合わせは個性的で独自な世界観を作り上げているように見える。
日本の戦後の芸術運動や現代詩においてシュールレアリズムの大きな影響はあったものの、ダダイズムはさほどではなかった。
篠原氏の詩はそういう意味で孤立を余儀なくされたのかもしれない。さらにこうした詩と現実社会とのギャップに苦しんできたという。
この詩人であるがゆえの苦難を振り返ることが詩集の第二のテーマとなっている。

芸術の魔物が
大口を開けて
オレの人生を飲み込ム
60前後の職を転々とシ
人間関係のヘドロの沼をノたウチ 
(「ハキダメ」部分)

拉がれた闇の雫に」「メシを食ラう資格はナイ」といったように生活の辛酸と嘆きが述べられる。
ところがⅢ章にきて詩人と生活の対立的な関係から親和的なものが入ってくる。母の看護、台風被害 などの
より具体的な生活感、孫を見る柔らかな視線などを通して詩人の目の変容がみられ、読者としても息が抜ける思いがする。

モノクローム・プロジェクト刊、1320円(税込)

  

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