千葉市詩話会 Book 1

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 会員・新詩集 / 評 (冊子13号)

 鮮烈に迫る東京の多彩な表情

柳春玉詩集『東京の表情』  大掛史子

 
詩集『東京の表情』は収録詩78篇すべてが「東京の~」とタイトルに東京を冠せ、東京を詩った詩で埋め尽くされている。斬新で鮮烈な東京詩のオンパレードに度肝を抜かれ、同時に、ちょっと待った、こちとら父祖代々の江戸っ子、東京に生まれ育った東京バアサンでござんすとちゃちな見得を切りたくなった。
鬼に金棒、柳春玉にペン、この詩人の詩作品はまだこの『東京の表情』一冊しか知らないが、恐らく何をテーマに書かせても、これら〝東京詩〟と同じくいきいきとした表情で簡潔に無駄なく読み手の心に真っ直ぐに届き、それを鷲づかみにする率直な表現でその存在感を強烈に印象づけるだろう。

  東京の表情

東京で二十年間 生きてきました
それなのに不自然な
私の日本語の発音
私は間違いなく異邦人です
それをまたこの国の人達は
細かく指摘してきます
―おつりはぜったい間違いありませんよ機械が計算しますから。
ニコニコしているアルバイト学生は
幼い割に
何でも知っているという表情です
私が日本人じゃないのもよくわかるでしょう
そうなのだ
やっぱり日本らしいですね
でも、私が生まれた国では
今時 お釣りなんか要らないってことを
この人達は知っているのでしょうか
カードでもなく 携帯で全ての決済をすることができる
ああ我が国
祖国万歳と言いそうになるのを我慢しているのに
しきりに 私の日本語の発音を指摘しますね
それでは
いつかあなたと私と
私の国の言葉で楽しく話してみましょう
あなたも私の国の言葉はとても下手なはずですから
でも私は笑いません
地球村では私達は誰も
異邦人ではないのだから

ここでは東京暮らし二十年で、言葉も日常生活に必要な全ても完璧にマスターしていると自負しているのに、ささいなアクセントの切れ端をつかまえて柔和な表情のまま、あなたは日本人ではないねと優越感をほの見せるレジのアルバイト学生に対し、祖国は電子決済では遥かに進んでいることを伝えたくなる気持ちを抑え、〈いつか私の国の言葉で話し合ったら、とても下手であろうあなたを私は笑わない、地球村では私達は誰も異邦人ではないから〉と大きな視野で互いにみつめ、共に歩んでいこうと語りかける。
傷つけられ嘲笑されることも多かったにちがいない東京暮し二十年を、知性と寛容と自己を客観視する表現力で逞しく生き抜き、その精華としての詩集『東京の表情』が世に問われたが、このタイトル詩は、困難と向き合いつつも己れの立ち位置を着実に豊かなものとしていく決意が好ましく伝わる。
著者に二度逢った。現代詩人会日本の詩祭の舞台で新入会員挨拶を爽やかに述べた柳さん、千葉市詩話会で本詩集にも収録されている「東京の翼」を朗読、慎ましく合評に耳を傾けていた柳さん、その折貴重な詩集を手ずから贈呈してくださった詩人は、美しく知性に溢れていた。
詩話会冊子11号で、初めて柳さんの「東京の升」に接したとき、私はてっきり作者は男性だとばかり思い込み、恵まれなかった父を思っての号泣が〈東京の裏通りに響く〉の一行で締められていることに物足りなさを感じ、締めの行の説得力の重さを望んだ。しかしいま詩集『東京の表情』という壮観な東京詩群の中でこの詩と対峙してみると、父と自分の生の踏み跡が裏通りに響く号泣によって深化され、加えるべき言葉を不要としていることに気づく。夥しい冠東京詩群の中に置かれた人生の哀感が一集に陰翳を添えていたのだ。
柳さんの詩による表現人生は、処女詩集を世に問うたとはいえ緒に就いたばかり、豊かな大河となっていくさまを愉しみつつ見守りつづけたい。

 

 人魚姫の恋の行方

恭仁涼子詩集『アクアリウムの驕り』   根本 明

 この詩集のテーマはアンデルセン童話「人魚姫」を下敷きにした愛情のバリエーションだろうか。王子様に恋した人魚姫は魔女にもらった薬で人間になるが、代わりに声を失う。恋を叶えるにはナイフで王子を刺さなければならないが、それができずに泡になってしまう。異世界の者との悲恋の物語だ。ここには王子への恋、異世界への憧れ、結ばれぬ悲劇があり、恭仁さんの詩はこれらを使って自分の恋愛の形を象徴したり展開を見つめ返したりするもののようだ。

 あなたと結ばれて、私は声を得たの。
 それでさんざん、あなたを罵倒したかったわ。
 でも、できなかった
 決まっていることだから

 ほんとうは歌だけを歌いたい。
 でも、あなたの存在を愛さずにはいられない。
 それこそがこのアクアリウムの驕り。
 あなたの業、私の業。
 真逆の人魚姫。

          (「アクアリウムの驕り」)

童話では人間になる代償に声を失い王子に真実を告げることができなくなるが、ここでは声を獲得して何でも相手に語ることができる。私は沈黙する存在ではなく、男女は一方的な関係であってはならない。そうした主張を逆説的に〈驕り〉といい、〈真逆の人魚姫〉としているのかもしれない。

らせんを降りていくと
わたしの脚は次第に硬くなり
でもそれはウロコではなくた だの乳酸で
わたしは人魚にはなれないのだと実感する
                 (「人間のわたし」)

人間は、生まれ変わること、できる。
なににって、人魚にだよ。比類ない顔かたちで、自在にすいすいできるなんて
人魚ってば無敵だと思わないか?
                (「キセキの話をしよう」)

 
 恭仁さんの人魚姫変身願望は強く、詩集のどこにでもその夢想が顔を出し、どこでも水族館や水場へと変わる。人魚姫願望はすなわち愛の希求だが、物語での悲恋と似て、現実の恋も関係への違和感やもどかしさが書かれることが多い。男の読者である私は人魚姫に戸惑いがあるけれど、あちこちに散りばめられた詩行の新鮮さに惹かれる。

郷愁の満ち引きは、
軋んでゆく音と同じだ
ぎしりぎしり
私はその音を、哀しく聴いていた
              
(「コインと潮」)

いい夢が見られますように
そんな文句を添えて、インスタグラムに指を運ぶ
 
(「私の家」)

 着想の意外さや詩の展開の不思議さにこの詩人の可能性が感じられるし、若い世代による新しい詩の世界が生まれることを期待できる詩集である。

 

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