「千葉市詩話会・冊子13号」 ( 10-1 10-2)
貝より始めよう
根本 明
七夕の日
参院選の期日前投票を駅前スーパーで済ませたついでに
バスで稲毛海岸に向かう
空には島のような雲がいくつも浮かび
この夜、懸命に群島を渡りつぎ逢瀬に向かう織姫を想う
昨年おとずれた浜は酷い嵐だったが
誰が短冊に願いを綴ったのか
今日の湾はおだやかなエメラルドグリーン
やわらかにシアンの色も溶かして
これほどきれいな海を初めて見る
できたばかりの五十メートルほどのウッドデッキが
白く沖に突き出ていて
私も碧の海の上のチェアのひとつに休んだ
白い砂浜の向こうに製鉄所の高炉が
今日は歌枕の塚のように横たわり
五井や市原の石油タンクもくっきりと続く
印象派が描く光のひと時に見れなくはない
しかしこの光景はすべてまがいものだ
自然破壊のうえに描いた疑似絵にすぎない
と頭部のひずんだ老いた蛸のように
私は心に墨を吐く
埋立地を口汚くののしり続ける一人のクレーマーだ
波打ち際の貝殻を見ていく
わずか数センチの黒い巻貝を探す
甲香(かひかう)は、法螺貝の様(よう)なるが、小さくて、口の程の、
細長にして出(い)でたる貝の蓋なり※
武蔵の金沢の浜で
この蓋をすりつぶして香料とする貝を「へなたり」と呼んでいた、と書かれる
そんな名の貝を知らなかったことに驚かされる
富津の埋立記念館や黒砂公民館の貝のコーナーでも
見た記憶がないもの
だけどヘナタリって貝の属名としても立派に存在し
ているのだ
河口など汽水の混ざる干潟に棲息するというから
稲毛の人工の浜に見つけるのは難しいが
頑な思惟や幻想がうつつに結晶することは、ある
のではないかな
干潟の小さな貝や虫たちも
海の浄化を担い
生態系の欠かせぬ一員だったのだ
ここに、へなたり、を這わしめよ
へなたり、を
たとえば第一次埋立地にできた古い団地の小公園
蛇口の下の地面のひび割れに
アマモ、コアマモともに這わせて
そこからどんな虚飾もない干潟と海へと
ふたたび押し広げていけないものか
※『徒然草』第三十四段
融雪
七 まどか
雪原が、乱反射する
目が眩むほどの光の中に
白い兎
小さな顔の真ん中に
赤い瞳
人工的な目を縁取る
厚い睫毛
瞼を下ろし
秘密をそっと隠す
ちらりと舞う粉雪よりも
ずっと軽い身体
北風に飛ばされまいと
新雪が積み上がった
仮初めの地面を掴む
その下に眠る
本当の土の感触を
兎は知らない
春を知らぬまま
雪とともに兎は融ける
樋口冨士枝 「こばれ種に思う」
春先に苗を育てた発砲スチロールの箱の端に
小さな葉っぱを付けた新芽を見つけた
これはと思ってよく見るとベコニアのようだ
しばらく成長を見守りながら様子を見ていたら
小さなピンクの花をつけた
そっと鉢にいれて育てている
冬の寒さで毎年枯れてしまうのに
土の中でじっと出番を待っていたのだ
早起きして草取りをしていて
小さな葉っぱを見つけてはっとした
あら、これは日々草の葉ではないかなと思い
あまりにも小さいのでずっと見守った
3,4枚葉が出てきたのでこれもそっと鉢に入れた
花の色まだわからないが
零れ種は思いがけない喜びを連れてきてくれる
日ごろの草花との語らいは何より嬉しい
自然のプレゼントだ
八十を過ぎてこんなささやかなことに
喜びを見いだせる穏やかな日々
二階に住む息子家族に
見守られながらの日々があるからこそと
思える幸せに感謝しながら
元気で生きられる努力をしたいと思う
秋にはどんなこぼれ種を
風が運んできてくれるだろう
まだまだ楽しみがいっぱいだ
限りなく広がるコロナ禍の中
自粛もまた楽しくもある
ことりと 風が
村上 久江
ことり・・・
雨戸を打つ
風の音
わたしの閨の
白い障子の 巧みに組まれた
桟の向こう そして
うるわしく光をあつめ
悠久の大気というもの
ぼうぼうと思わせる
硝子戸の向こう
ことり ことっ
・・・ ・・・
ことり ことっ
色彩のない 憂いも 哀しみもない
無という 茫茫とした調べをやどして
風の あるがまま
風の詩
夕べより眠りの浅かった
わたしを 朝へといざなう
ことり
風の音
名残りの闇がまだ漂っているようだ
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