千葉市詩話会 Booklet 8-2
〈千葉市詩話会〉「詩話会冊子 8号」より ( 8-1 8-2)
東浦和 見沼通船堀 辺(ほとり)
石井真也子
私は長い間その写真を見続けていた
見沼通船堀の辺
菜の花が咲き
川岸を上がると道がありそこをよぎると
家のトタン屋根の離れの借家があった
五十年前 一九七十年
父と娘で住んでいた
父は二度立ち上げた有限会社の倒産により
かたをつけたとつぶやいていたが
時折借金取りらしき男が訪ねてきた
娘である私は学校に通い父は工場で働き
昼間は借家にいなかった
夕暮れになり人通りの少ない通りに
人が更にいなくなる
それを待つかのように
小さくちいさく体をかがめて
ゴミを持ち辺で燃やした
こそこそと
薄暗い中で燃えるゴミの煙が闇の中を上がっていく
それは風とともに斜めになったり
真っ直ぐだったり
父娘は一日を終えた安堵感で
その時だけ
煙の行方を一緒に見た
通船堀の板の壁が浮かぶ
江戸時代からの声も微かに聞こえる
その時東浦和大間木では
武蔵野線が開通予定だったが
まだなかった
父は情けなく老いていたが
娘はそのことを凝視した瞬間に忘れようとしていた
戦後下町のバラックで多くの家内工業が建ちそこで少し
お金を得て羽振りがいいと勘違いし
スカイラインを乗り回していたこと
その父の微かな面影を思い出すことにしていた
若い男女ならなすべき事もあっただろうが
老いていく父の下る坂をただただ
手も添えずに言葉少なく過ごした
九月大雨が降り堀の水位が上がってきていた
父は何度も辺に見に行っていた
以前下町のゼロメーター地帯と呼ばれた工場のあった場所は
何回か床上浸水に見舞われ
いざというときは畳を上げるのだと
一睡もしなかった
幸い水は出なかった
人里離れた昭和の風景の中にあった見沼通船堀の辺
娘である私はその写真を長い間眺め思い出す
老いることに優しく出来なかった自分
夜の風に上がっていった煙
見沼通船堀の辺で
小さくちいさくこそこそと隠れるように過ごした日々
煙のゆくへだけが
微かな夢を乗せていると思った
あのとき
長い間その写真の菜の花のさく岸辺を見ていなかったが
川の底に確かに父娘はいた
葬儀の帰り 池田久雄
妻女を失くした人のお葬式
一人息子を亡くした人のお葬式
身につまされて気の毒でならない
妻が先に逝くなんて孤影悄然
子が先に逝くなんて茫然自失
誰にでも不幸の順番は回ってくる
しかも順不同で突然に
次の訃報はぼくの「逝去」かも
あの人も逝ったかと一瞬でも
仏頂面を思い浮かべてくれれば有難い
親友の葬儀では坊さんの読経の最中
故人との思い出にできるだけ浸る
同じ時間と空間を共有できたことを
お悔やみの印に懐かしみ感謝する
それでも哀悼の時間はそう長くはない
葬儀の帰り道では
もう気持ちは別の所へ向いている
会葬した知人に久闊を叙したり
駅前喫茶店に立寄り世間話をしたり
生きている側はいつも明日を思い煩う
片や身内の死は決定的に違う
長い間悲嘆にくれて
立ち直るのも容易でない
年を取ってくるとなおさらだ
妻が先に逝ったら寝込むに違いない
高いびきの憎たらしい妻の寝顔に
その夜思わずそっと声を掛けた
おまえ ぼくより先に逝くなよ
小言ならいくらでも聞いてあげる
ガタが来た洗濯機もすぐ買い換えるぞ
<振り返り橋>(東京湾の行方)
秋葉 信雄
橋を渡って 振り返った
十メートルもない橋が 先が見えなくなっている
振り返るたびに 橋が長くなる
さっき別れた少女は どこに消えたのか
ドブ川の先に視える 銭湯の煙突は
その大きさは何も変わらず
かすかに黒い煙を吐き続けている
ただ 渡り切ったばかりの 橋だけが延びていく
名前を呼ばれた
子どものころの馴染みのある声だった
向かいの部落の 朝鮮高校のお姉ちゃん
いやいや 商店街の裏道の酒場の前で
朝まで座っている スカートをたくし上げたおばちゃん
気がつくと 私は ドブ川の中を泳いでいた
真っ黒な 饐えた 臭いが 口に 入って来る
工場の下水が 私の 羊水なのだ
橋が視えてきた 十メートルの長さに戻っている
ちょっとふざけた黒雲が 横を行く焼き玉エンジンの船の上で
溢れかえるアサリを 沸き立たせる
しばらく 橋の下で 雨をよける
その先の浦安沖に シンデレラ城が 霞んで浮かぶ
私は 五歳の誕生日に 溺死体となっていく
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