「千葉市詩話会・冊子12号」 ( 9-1 9-2)
冷たいトマト
岡田優子
トマトの原産地を知らなかった
明治時代のはじめに栽培されたことも
家の近くの農園のトマトが
珊瑚色に艶めいたら
一層 美味しくなるなんてことも
手籠にどっさり買ってきたトマト
畠から帰ってきた主(あるじ)に
教わったように
パラフィン紙のように薄く輪切りにして
硝子の器に移し
白砂糖を 粉雪のように
振りかけた
トマトが冷えてゆく
粉雪が溶けはじめる
哀しくなってくる
遥に遠い この国の終戦後の日々
耕し方を知らない母が
東京の外れ 海に突き出した荒れ地に
トマトや南瓜の苗を植えていたけれど
実りの少ない淋しい畠だった
何処の誰とも知れない人が
汚れたズボンのポケットに押し込むための
野菜だったのではないかしら
その人の飢えが消えるなら
それでもいいのだと
柔らかく笑っていたけれど
器の上で トマトが冷えて
食べ頃です
もう一度 母に会いたい
約束
太田奈江
目覚めた小鳥たちのうたにさそわれ
まだ冷たい空気のなか
丘の小径で今年の〔春〕をさがしていた
あたりいっぱい
あらたに萌えだす命たちの気配にひかれ
明るく歩めど 息重い丘の坂道
遠く深くひろがるのは
過去を吸った空の静寂
数々 記憶のなかにうかぶ傷みや惑い
危うい地球の一点に生きながら
ある国の一人の狂いの意志から
ふと心をよぎる世界戦争の不気味な予感
戦争は厭
戦争は駄目
今日 温もりの太陽に
風は幸せ色に
生きものを明るくつつむ
凡人には見えない未来よ
命短いものたちの上に
やすらぎの〔時間〕を約束してください
いのり
今日たどった道に
うつくしいボタンのような
花が見つからなくてもいい
信じたままの平凡の時間の中に
みなれた雑草の緑を分けて
ちいさな蕾の ひとつ ふたつ
すこやかにそだっている
そのことの安堵がいい
テレビをめくれば
地図のむこうで戦争がひろがっている
命をなくしてゆく小さな国の人々
なにを望んで戦争がおきるのか
罪なき人々が
死のくにへ落されてゆくのか
世界戦争の悪夢を見せないでください
遠い過去
朝ごとの太陽のなかにての祈りの母
戦場におくった兄たちのために平和を祈った母
そのままのかたちで
わたしも愛しい未来の子等のため
世界の未来のため
今日につづく
平和の未来を祈ります
「雑」学の達人
池田久雄
男は若い時分よく妻に小言を放たれた
あなたは下品ではないけど挙措が粗雑
娘は上品で優雅なお嬢さんに育てたい
煩雑な礼儀作法もきちんとしつけたい
男の生まれ育ちは例えれば雑種の駄犬
樹木ならば用材としては低価値の雑木
なれど雑音やら雑念やらに惑わされず
大雑把でも地道実直に生きたいと願う
普段の食事はごった煮や雑炊が好物で
健康にいい豆ゴマなど雑穀に目がない
草食や肉食いずれにも偏しない雑食性
だけど雑菌に罹りやすく感染症に弱い
大学では寮の乱雑な六人部屋に雑魚寝
雑多な友と雑談や雑駁な議論に熱中し
雑誌雑書を読んで雑感を雑記帳にメモ
時折襲う孤独感は渋谷の雑踏に捨てた
社会人出発は新宿の混雑する雑居ビル
新人は雑用がこなせて一人前と諭され
のろまだ鈍感だと悪口雑言を浴びつつ
電話番や飲み会幹事等雑務に追われた
年月を経て男は雑学の達人と煽てられ
人がいいと雑件が不思議と回って来る
あげく雑巾のように雑事にこき使われ
本来の仕事はそっちのけの雑役夫人生
今回の詩も「雑」をテーマに複雑骨折
結局とりとめのない雑文で終わりそう
納得のいく詩を作るって本当に難しい
それでも男は雑草の如くめげずに挑戦
遅効性の毒
七 まどか
滴り落ちそうなほど赤い
下唇に仕込まれた
毒
崩れ落ちそうなほど白い
指先に仕込まれた
毒
その狂気を
皺ひとつない
漆黒のワンピースに隠して
静かな夜を演じている
夜が明けることは
決してないのです
幼い頃に読んだ絵本の中の
お姫さまは言っていた
今、私に
背後から囁くのは誰
ワンピースよりも黒い影を纏い
夜が明ける時を待ち望んでいる
優しすぎる誘惑に
抗うことなどできずはずもない
手の形をした影が
身体を這いずり回ると
ほんの僅かな綻びから
ワンピースを引き裂いた
お姫さまの断末魔に
熱が、迸る
ああ!
夜明けだ!
六か七月の列車
恭仁涼子
移り気、と辛抱強い愛、の矛盾について。
目の前の席に貴婦人が座っている
たっぷりの空色の袖をひらひらして
遠い国の話をしていたが
私はそれが作り話だと知っている。
いつしか貴婦人の身の上話に。
(わたくしね、本当は白い服が着たかったの)
私はなぜここにいるんだったっけ。
(でもね、いつのまにか色は変わるものですから)
窓の外へ目をやった。
(わたくし、今に赤くなるわ)
数多の水が窓をしたたかにうち続けていた。
(わたくし、それが嫌で嫌で仕方ないのだわ)
ふと、空が光った
あまりに急激に景色が変わったので、逆にトンネルに入ったのかと思った。
視界がひらけると、青空
一年ぶりかそこらの大きな入道雲
わたくし、青いままで死にたいの
おお怖い、危うく赤く染まって死ぬところだったわ
老いるっていやあね。
目の前の綺麗なおばあちゃんが消えて
茶色い骨だけが残っていた。
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