千葉市詩話会-5-5
〈千葉市詩話会〉 5号Top 〈4号の批評 1 ・次ページ 2 〉
四号作品評 大掛史子
夜明けの陰謀論(秋葉信雄)
独創性まばゆく、表現の切れ味は鋭い。ユーモアもちりばめられ、才気喚発の秋葉詩に唸る。
キャベツ頭(秋元 炯)
停まった電車の乗客の視点から捉えたキャベツの人格と収穫という戦場で闘う爺さんの
動きが生き生きとスケッチされ、懲らしめられるキャベツたちの表情が鮮烈。発想が新鮮。
曼殊沙華(朝倉宏哉) 好きな歌人斉藤史の代表歌が適切に取り入れられ読者も大満足。
ただ「長崎物語」歌詞の歌謡性と史の歌の格調との落差が大きすぎる。
リセット(池田久雄)大組織を順風満帆に渡り終えて、見事に池田節の詩人として大リセット。
そろそろ私たちリセットをと細君にほのめかされても、この落ちは読者への大サービス、
ほんとうに読者思いの大詩人!
春告げ草(石井真也子)霜柱、梅の木、春一番、春告げ草、春で繋がってはいるが、
それぞれが独立したイメージ、草は何を指しているのか不明、少し整理が必要ではないか。
挿入詞と句のよさを生かせたら。
レモンだった(大島千世子)上質の映画のワンシーンのよう。
老夫婦のガーデンティータイムに爽やかな存在感で主役を張るレモン、垢ぬけてしゃれた詩。
夢で逢へども(太田奈江) 夢の入口から橇で進むときのやさしい人たち、
めざめという現実に奪われる佳き人々との交流、タイトルに無念がにじむ。
眠る(岡田優子)家族の一員だった老猫の最後の日々と死を淡々と
一字の無駄もなく描き切ったリアリズムによって一つの生命との永別が重く価値あるものになった。
情緒を排した表現によって別れの陰影が深まった。
祖父のハードル(翔)掌編小説の味わい。
〈昔なじみ〉が四回出てきてもウルサクないのは各連の表情の鮮烈さゆえ。達者な詩を読む爽快感。
秋の林とねんねこと(白井恵子)ビロード衿のねんねこの中の赤ちゃん、
宝物のような人生の始まりの時間がまぶしい。母も子も幸せだったねんねこ姿を甦らせ、
その価値をあらためて教えてくれた詩。
大失敗の朝(時女礼子)10番線快速東京行も物井駅もよく知っているので、
おやおやとお気の毒にもおかしくもなり、
闊達な筆捌きと巨峰10倍売上げ実績のご褒美に読者の頬もゆるみっぱなし。
よい主任さんとよい仲間たちのいるよい職場から生まれたよい詩。
風(長沢矩子)福音書の三行がなくても佳篇として成立しますが、
作者にとっては不可欠の引用だったのでしょう。書きつづけることにより
喪われたと思い込んでいる人が実は傍らに居ることに気づかされるのではないでしょうか。
開眼(七まどか)大きな赤い瞳太陽に挑む小鳥、
お前だけは赤い瞳に支配されるなと最後の言葉を吐いて西方浄土へ飛び立っていくその魂、
創作者の苦悶が伝わる。
裂けた木(根本明)八幡宿という駅近辺を知らぬ読者にもその地の風貌が作者の青春の傷みと
共に迫ってきて鮮烈な陰影を刻みつける。
内面への導入から歳月の傷口をくっきりと開いてみせ、共感を呼ぶ熟達の手練に強く惹き込まれる。
眼鏡(野村 俊)白内障手術は通常、老化した水晶体を砕き吸引して、代りに人工レンズを装着し、
自在な焦点、視力を取り戻せる画期的なオペで、その恩恵に浴している人は多いが、
この詩のような固定焦点になってしまうこともあるのか。
無機質な人口造眼という術後の状況を逆手に取っての巧みな詩想の展開に感じ入る。
コロナになった娘(樋口冨士枝)タイトルは一考の余地あり。
肉親のコロナ感染、誰でもがその立場になり得る現況と家族の心痛をリアルに詩い共感させる。やや長すぎる。
亡夫よあなたですか(村上久江)蜘蛛と蟋蟀、どちらか一方に絞った方が締まる。終行は不要。
晩秋(山本光一)〈朽ち果てていくことでしょう〉が三連、四連に重複しているが、一考が必要。
玄冬に入る前の鮮やかな生の終章、言の葉に生まれ変わったものが残る確率はどのくらいなのかと
考えさせられてしまう読み手即書き手
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